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芹生政夫先生(初代支部長)

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芹生政夫(1912~1994)
1952~1993年 示現会兵庫支部長をつとめる

昭和27年といえば、まだまだ物のない時代でした。そんな時に先生は梶一郎先生と一緒に
示現会兵庫支部を結成され、1994年の正月に亡くなられるまでの40年余りを支部長として、
会員の指導にあたってこられました。支部会員には怠け者や身勝手な者も多く、その上わか
りの鈍い者もいましたので、“叱咤激励”と言えば、また、お叱りを受けそうですが、本当に
長くお世話になってきました。
さて、先生の作品はさりげなく、それでいてゆかしく、もっといえばなんでもない構図で
ありながら、大胆で思い切った切り返しがあり、私達にこれでもかこれでもかと示唆をいた
だいているようにも思えます。それは概念否定であり、常に新鮮で無限の魅力を包括してい
ます。特に先生の色は、犯し難い気品と威厳に満ちあふれています。強烈な色彩のコントラ
ストが目にしみるかと思えば、粋な色で潤いと情緒をにじませたり、その不思議な色の調和
は汲めども尽きぬものがあり、私達を魅了してやまないものがあります。壮大にして繊細、
それはあたかも生涯ロマンを追い求めて止まない先生の生き方そのもののようです。
また、先生の絵画論は実に楽しいものです。「今は飽食の時代です。好きなもの、うまい
ものしか食べない時代です。絵も好きな所だけ描きなはれ、嫌いなものを描いても身は入り
まへん」「今は服装でも、ミニもあればロングもある時代です。みんな自分の個性にあった
服装をしようとしてます。絵だけ、上手に描こうと思いなはんな。あんたにしか描けん画が
あるはずでっしゃろ」と播州弁でポンポンと言葉が飛び出して来ます。初めての人には理解
し難いことや、誤解もあるようですが、何故か心に響き、印象に深く残り、それが描く喜び
や励みになるようです。(示現会兵庫支部会員)

 

ー 芹 生 語 録 (雑談の中から)ー

● 何を描くのですか
「何を描けばよろしいか」とよく尋ねられますが、自分が描くのやから自分のことでっしゃろ。
自分が描きたいものを描いたらよろしいのや。なんで迷われとるかというと「誰かが見るとどう
思うやろ、笑われへんやろか」ということばっかりが先に立ってるさかいにそうなるのでっせ。

● どこから描くのですか
「何処から描いたらよろしいか」これは私が尋ねることでっせ。私は「あんたならどこから描き
ますのや」と聞き返します。そしたら「ここから描きます」と答えが返って来ます。そんなら初
めから自分で描いたらよろしいのや。私が行くたびに弱音をはいているけど、他人がどう言おう
とよろしいのや。食事の時、「これ、どこから食べたらよろしいか」なんて誰も尋ねしまへん。
1週間に1度の習いごとのように思い違いをしています。
お茶の大先生が来ていましたが、誰も「茶碗をどこから取りますか」とは聞きません。もし聞
いても教えまへん。そんなこと考えんとどんどんいってしまいます。お茶の作法の偉い人程なん
にも言いませんし、教えまへん。
子供でも、何をしに行くのかわからんでも、毎日学校へ行ってもどって来ます。絵を描くことは
自分のことですがな。自分のことを他人ごとのように言うたり、よそよそしくせんでよろしいのや。

● 自分の好きなように描く
三角形に描くのもよいが逆三角形に描くのも良い。理由は何もない。色をつけるのも構図を考え
るのも、自分が好きなようにやっていったら必ず良い絵が描けます。「どっから食べたらええか」
と食事の礼儀作法いうてたら食べられしまへん。消化不良を起こしまっせ。絵は「もうちょっと
食べたい」という所で置いとくと次々と描く気がしますが、描き過ぎると描く気がしませんし、
体にも悪うおます。田圃や畠を描く時は、田圃を作っとる人の気持ちを考えることが大切でっせ。
肥しを入れて地ならしして土をつくることから始めるこっちゃ。土の赤の所へ青を入れたり、黒
っぽい色を入れたり肥しを入れまっしゃろ。そしたら変わったものができまっせ。ややこしいも
の入れたり、土やからいうて同じ色で塗らんと、肥し入れて地ならしして、自分とこに植わっと
るもん取ってきて入れると無駄がありまへん。それでいいもんできまっせ。肥し入れるといい絵
が出来ます。一般的にならへんし、上手な絵にもならしまへん。思うままに描けるということです。

● 百ぺん言ってます
昭和27年に文化省がいっています。「現代絵画とは、遠近による調子でまとめるよりも調子を大
切に」といってます。これで遠近は関係ない、調子が一番上にきました。「きれいな色どうしの
調和、コントラストで画面をうずめるという空間構成による」といっています。もう20年時代に
発表しています。「2番目に色と形と肌」「3番目に遠近法による」といっています。ところが
3番目の所ばかりに力を入れている人が多いのや。そやから百ぺん言うてますやろ。テレビと一緒
で何べん見ても頭入って来まへん。今頃は「機嫌よろしいか」いわんと「体の調子はどうですか」
「調子はよろしいか」といいますやろ。何を言うのも調子です。

● 自分の絵は自分のこと
朝起きたら、熊谷守一さんの対談をしていました。アナウンサーが「何を描いているのですか」
と聞いたら「何を描いているかわからん」「何が描けるかもわからん」と言っていました。
第3者ではわからんというこっちゃ。描いとるものしかわからんはずでっしゃろ。描いとるうち
にわかるもんでっせ。権威を持っているからそれが言えるんでっしゃろな。
子供に上等の紙は使いとうない。値段の高いやつ使ったら家へ帰ったら叱られるがな。

● 大成名画
「絵はよう描きません」「絵は困ります」「絵はむずかしいもんや」いうて絵を描きよります。
「これ以上ちっとも上手に描けません」といいよる。私が「いつ上手に描け」といいました。
上手に描かんでよろしいのや。「あれより上や」ということになりますか?何が上や?
それより独自のもの、面白さをもっとる所の大人の絵を描くのですがな。
「このような絵を描きなさい」「色の調子や形の調子はこうしなさい」といわれて描いても、
それ以上のものはできません。描けば描くほど、大成名画にしかなりません。毎日、1時間ず
つ描く、他人のせん努力がきっと表れる。自分で考えてしていると面白いものができます。
必ず、その努力は報われます。
美しい言葉を並べた歌はうまいけど、それは技術です。他人がこう描いとんやったら、僕は
こう描く。右手で描いて硬いのやったら左手で描く。「目のつけ所が面白いですな」というこ
とは、その人独自のものでっしゃろ。上手になりなはんな。上手な人は大勢おってです。あり
ふれてしまいます。絵と略画とは違うのや、略画のプロになると魅力がないし、芯が止まって
しまいます。上手なもん作ったら商売繁盛しまっせ。そして、なんぼでもできます。ようけ作
ったら捨てななりません。かといって、いったん上手になった者は下手なものをつくることは
できまへん。難しいことでっせ。

● 最後に
警察が悪いことしても警察がつかまえよります。絵描きは気にすることありまへん。
なんぼ悪いことしてもつかまりまへん。まあ、頑張ってください。

 

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IMG_8422 聖堂の見える街角 1976

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IMG_8440 ウェストミニスター寺院 1963

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IMG_8443 妙義連峯 1983

IMG_8419 古城下の裏通り 1985

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